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東京に進出して35年-行動してこそスタート地点に立てる

弊社会長のインタビューコラム記事がNET IB NEWSに掲載されました。

2019年5月30日 11:53
東京に進出して35年-行動してこそスタート地点に立てる

記事 : https://www.data-max.co.jp/article/29624   <取材・文・構成:石井 ゆかり氏>

<裕福になれたバブル時代、役所の仕事をする人はいなかった> 

 (株)手島建築設計事務所が東京に進出したのは、まさにバブル期の1984年のことだった。世の中は好景気で、街には次々とビルやマンションが建っていた。

 「国や東京都の公共施設を設計する人がいなくて困っているから、東京にきて仕事をしないか」と声をかけられたことが代表取締役会長・手島博士氏が東京で仕事を始めたきっかけだった。

 当時の日本はバブル景気に沸いており、福岡も東京も建設業界はとても忙しかった。仕事がたくさんある時代だったから、ほとんどの設計事務所は民間の建物を手がけていた。時流にのって数多くの巨大ビルやマンションをつくり、成功して東京の一等地にオフィスを構えていた設計事務所もたくさんあった。

 利益が大きい民間の建物を手がけてさえいれば、裕福になれる時代だった。公共施設をつくる行政の仕事は、民間のビルやマンションをつくる仕事にくらべて利益も薄く、設計時の決まりごとが多く、手間もかかるため、当時はほとんどする人がいなかったという。

<大きな建物も小さな建物もよろこんで手がけた> 

 東京に出てくる前、福岡の事務所で仕事していたとき、いっとき体調を崩したことがあったという。何とか一命を取り留めた際、手島会長は「人生には終わりがあるものだ。命があってこその人生だから、生きているうちにしておけばよかったと人生の最後に感じることがないようにやりたいことをして生きよう」と心から感じたため、東京で仕事を始めることを決意したという。

 東京は、国や東京都の仕事をはじめ、23区の各地区それぞれにも公共施設があるため、行政関係の設計の仕事がとても多い。

 公共施設をつくる仕事は、設計事務所として実績をつくるチャンスだと考えて、大きな建物でも小さな建物でもよろこんで設計の仕事をしたという。手島建築設計事務所は、現在までに数多くの都営の高層住宅や学校、福祉センターなどの公共施設を手がけている。

 ほとんどの設計事務所が民間のビルやマンションを設計して羽振りがよかったバブルの時代、利益が薄く手がける人がいない公共施設の仕事に取り組んだ手島会長の姿勢はほかにないものだった。仕事を依頼した行政の担当者もありがたく感じていたに違いない。

<バブルが崩壊して、民間ビルやマンションの需要が落ち込む> 

 バブル期は、次々と新しい建物がつくられて活気があった建設業界も、バブル崩壊とともにオフィスビルやマンション、店舗などの民間からのニーズが大きく落ちこんだ。

 今まで民間の建物を数多く設計していて羽振りがよかった設計事務所は仕事が減り、誰もが経営しやすかった時代は終わりを告げた。そして、これまで民間のビルやマンションをつくっていた設計事務所も、公共施設をつくる役所の仕事を手がけはじめた。

 多くの事務所が公共施設の仕事を手がけるようになったため、受注するための競争倍率も上がり、いまでは国や東京都から仕事をもらうのは簡単ではないという。

 それでも、手島建築設計事務所は、公共施設を設計する事業をいまも順調に伸ばし続けている。バブルで景気がいいときから時代に流されず、目先の利益を追わずに行政の仕事を手がけ、着実に積み重ねてきた実績が、いまにつながっているのではないだろうか。

<広い海は、大きな魚が釣れるチャンスがある> 

 東京は、たくさんの人が集まっている街だ。多くの人が暮らす街には、住むところや仕事をするところ、買い物をするところなど生活の場面に合わせてさまざまな建物がつくられている。ビルやマンションの建物数が多いだけでなく、たくさんの人が使う大規模建築物もつくられる。大都市では建物をつくるニーズが多いぶん、設計の仕事のチャンスも増えると手島会長は感じてきた。

 たとえば、池で釣りをしても、それほど大きな魚は釣れないかもしれないが、広い太平洋に船を出して釣りをすると、身の丈ほどもある大きなマグロが釣れる。

 仕事も釣りと同じで大都市では大きなチャンスがあるため、努力した分、仕事のスケールも広がる。手島会長は、いままでチャンスが少なかったスケールが大きい国の仕事も東京に出てきてから手がけられるようになったという。

 生まれ育った街を出て大都市で戦うのは、とても勇気がいることだ。しかし、多くの人々とつきあうなかで、華やかな街の本質もみえてきた。東京は地方を出てきた人が集まっている街だとわかってからは、本気になれば勝負ができるという前向きな気持ちが強くなったと手島会長は話す。

 東京は地方を出てきた人が集まっている街であるがゆえに、社会のコミュニティや人と人とのつながりがドライで、他人に干渉しない街だといえる。よくも悪くも、人間関係よりも実力主義なので、仕事で成果を上げたら、次々に新しい仕事に取り組めることも東京の魅力だという。実績を積み重ねて、長年の夢だった超高層建物の設計に携わりたいと当時から手島会長は思い描いていた。

<東京で仕事を始めたときは、行動あるのみだった> 

 仕事のチャンスが多い大都会では、自分から行動する勇気が大切だと代表取締役会長・手島博士氏はいつも感じてきた。まずは自分で動かなければ、どんな結果になるかはわからない。動いてみた結果、成功するかもしれないし、失敗するかもしれない。だが、心のなかでやりたいことを考えているだけでは何も起こらず、行動してはじめてスタート地点に立てるからだ。

 また、東京で設計事務所の仕事を始めたとき、手島会長は気づいたことがあった。どんなに大きく見える組織でも、1人ひとりの人間が仕事をして組織を動かしているということだ。

 大きな組織を遠くから見ると、まるで巨大なクジラが海で泳いでいるように見えた。だが、近づいてみると、巨大なクジラに見えたものは小さなイワシの大群だった。巨大なクジラのかたちをしているのは、先頭を泳いでいる群れのリーダーがイワシの大群を動かしているからだった。

 どんな業界も行政も組織を動かしているのは”人”だと気づいてからは、大きな組織が相手でもチャンスに挑戦できるようになったと手島会長はいう。1つの大きなものを見ながら、その構造の本質を見抜く姿勢は、大規模な建物を設計しながら、その構造を見極めてきた建築士ならではのものだ。

<いい仕事をすると行政と信頼関係ができる> 

 (株)手島建築設計事務所が東京に進出するきっかけとなった官公庁の設計の仕事は、建物をつくる工事をスタートしてから完成させるまでの期間が短く、スケジュール管理がとても厳しい。納期に遅れずにミスのない設計をして、完成後もクレームがない仕事をすることが公共施設の設計では欠かせないといわれている。

 手島建築設計事務所は、決まりごとが多く、堅実な姿勢が求められる行政の仕事にこれまで積極的に取り組んできた。そして、納期通りにミスがなくクレームの出ない仕事をすることで行政と信頼関係ができて、多くの仕事の依頼をもらうようになったという。行政は仕事の実績を積んでいくと、企業規模の大小にこだわらずに成果を評価するフェアな姿勢がある、と手島会長は感じている。

<企業が思い描くイメージを具現化する商業施設> 

ショールームやビルなどの商業施設は、企業が思い描いているイメージをかたちにした建物だ。たとえば商品の魅力を伝えるショールームは、建物のデザインや部屋のインテリアで商品がみせる顔は大きく変わる。ショールームで人が商品の華やかさや新しさを感じられるのは、流行の最先端の雰囲気をもつ空間があるからだ。見る人に商品の持ち味がうまく伝わるように、いまの時代の空気を感じられるデザインにしていると手島会長はいう。

 また、ビルを設計するときには、使いやすさや過ごしやすさという人の感覚を、デザインや構造や寸法という専門家ならではの物差しに変えて、建物のかたちにどこまで具体的に落とし込めるかが設計事務所としての腕の見せどころだ。また、建物の使いかたは企業によってさまざまなので、顧客へのヒアリングから使いかたにあった部屋の配置や間取り、インテリアなどを提案している。予算が限られているときでも、予算をかけるところにメリハリをつけていい建物ができるように工夫しているという。

<建物を使ったときの感覚から、デザインが生まれる> 

 建物は人が使うものだ。だから、ふだんから建物を見て、建物を使ったときのその感覚から、手島建築設計事務所のデザインが生まれている。

 たとえば街を歩くときは、周りに建っているビルを見て、どんな建物が新しくつくられているか情報を集める。新しい建物のデザインからいまの時代のニーズを読み、建物のかたちを決めるときに世の中のニーズを取り入れるためだ。

 また、ビルのなかに入ったときは、使う人の気持ちになって部屋の間取りや使いやすさ、カラーコーディネートなどを見て、建物のインテリアをデザインするときのイメージを考えている。流行のデザインも本当に良いものかどうかは、使う人の立場になって実際に体験してみなければわからない。たとえば物入れなら、かたちや寸法が少し違うだけでモノをしまいやすくなるなど、建物は使ってみてはじめて長所も短所もわかることがあるからだ。街に暮らし、さまざまな建物で過ごすなかで、いい建物をつくる工夫を手島会長はいつも考えているのではないだろうか。

 完成した建物を目にするだけでは想像もつかないくらい、建物の設計はクリエイティブな仕事だ。たとえば、どの向きで、どの場所に建物をつくるか、どんなかたちの建物にするか、どの構造なら耐久性があるかなど、設計事務所が考えた数多くのアイデアの集まりから建物がつくられている。設計の仕事は、手間をかけていい建物をつくることにやりがいを感じるからこそできるものだ。外から完成した建物を見ても、ぱっと見ではわからない仕事が多くある。だからこそ、決して手を抜かない誠意ある姿勢が、建物の完成度を決めていると感じられる。

<モノを売る仕事とは何が違う?「設計の仕事」とは> 

 設計の仕事は、完成したモノを売る仕事とはかなり異なる。モノを売る仕事は、完成したモノを見た顧客が注文する。だが、設計の仕事は注文があってからつくるため、当然、仕事を依頼したいと考えている顧客に事前に完成した建物そのものを見せることはできない。

 一方、新しく建物をつくるときは企業も行政も必要な予算が大きく、人の決断が欠かせない。だから、まだカタチになっていない建物を設計事務所に依頼するときには、会社としての実績はもちろん、仕事への姿勢も判断基準になるだろう。人が表に出ることの多い設計事務所の仕事は、信頼関係があってこそできるビジネスではないだろうか。

 信頼関係は、仕事に手を抜かず、人をだますことなく、顧客の思いをかたちにできる建物をつくることから生まれるという信念を(株)手島建築設計事務所の代表取締役会長・手島博士氏はもち続けている。手島会長は仕事に、誠意をもって取り組むことが大切だと考えており、まわりからの評価を気にしたことはないという。本当に社会のためになる仕事をしていれば、成果を上げ評価を得るための戦略を立てなくても、自ずと結果がついてくると感じているからだ。

 人からの依頼で始まる設計の仕事は、これまでの仕事の評価が、そのまま次の仕事につながることが多い世界だ。そんななか、仕事の評価は顧客が決めるものとし、世の中の声に振りまわされることなく、設計する仕事そのものだけを見て取り組んできたからこそ、手島会長は信じる道を進むことができ、その結果が、いまにつながっているのだろう。ここでも手島会長ならではの前向きな姿勢が生きている。

 

<売上を追わず、お客さまの思いをかたちにすることに価値がある> 

 設計の仕事で指名があるということは、顧客の信頼があってのことだ。だから、手島会長は依頼してくれた顧客の気持ちに応えたいと考えており、指名があった仕事はすべて引き受けて、断わらないという。仕事の依頼があることに心から感謝しているため、利益や世間的な評価で仕事を選ばず、いつも謙虚な気持ちで仕事に取り組んでいる。

 手島建築設計事務所は現在、福岡、東京、大阪、名古屋の4拠点に展開しているが、手を抜くことなく、いい仕事をしていれば、どこに行っても仕事はたくさんあると手島会長は実感してきた。そして、顧客に満足してもらえる仕事をしていれば、業績を上げようとしなくても利益は出てくる。仕事でのもうけを考えることより、設計を依頼したお客さまの気持ちに応えることが大切だと手島会長は話す。

 高度経済成長期やバブル期が過ぎ、多くの企業が業績を伸ばすのが難しくなったいま、売上至上主義や利益率を高めることだけを事業目的にしている企業がますます増えていると感じる。そんななか、売上や利益を追い求めすぎることなく、顧客の気持ちに応えて手を抜かずに仕事をすることに最も価値を置く手島建築設計事務所のような存在は貴重だ。

 また、企業は社会のニーズを解決して、世の中の役に立つことで成り立っているため、顧客の思いに応えることを大切にする手島建築設計事務所の姿勢は、企業のあり方として本質をついているのではないだろうか。手島建築設計事務所が順調に業績を伸ばし続けているのも、この独自の経営を実現していることが大きいのではないかと考えられる。

<「手を抜かず、人をだまさない」姿勢から信頼が生まれている> 

 設計の仕事は、「当たり前のことを当たり前にすること」と手島会長は話す。人はだれもが自分が常識と思っていることに基づき行動しているものだ。だから、何を「当たり前」と感じているかで仕事のやり方が変わる。人をだますことなく、手を抜かずに誠意をもって仕事をすることが常識と考えている手島会長だからこそ、その姿勢が事業にも反映されているのではないだろうか。

 たとえば建物をつくる仕事では、建物が完成してしまうと建物の構造や土台のつくりなど外から見えないところについての完成度は、つくった人以外、実際にはどうなっているかわからない。また、設計の専門知識がないとできない仕事のため、専門家ではない依頼者からは実体がつかめないことも多い。

 そのため、外から見えない部分まで、手を抜かずにどこまで正確に作業するかは、会社の姿勢に大きく左右されると考えられる。そして、表からは見えないところも正確につくることで、耐久性があり、安心して使い続けられる建物ができる。依頼者から目に見えない箇所が多い設計の仕事だからこそ、手を抜かずに人をだましたりせずに仕事をするという「当たり前」の姿勢が、手島建築設計事務所の信頼につながっていると感じる。

<何があっても後ろを振り返えらず前に進んできた> 

 (株)手島建築設計事務所が東京で仕事を始めて35年になるが、新しい場所で事業を始めたことを苦労と感じたことは一度もないと代表取締役会長・手島博士氏はいう。

 新しい場所で事業を始めると、勝手がわからず慣れないことの連続だから、軌道に乗せるまでには時間がかかるものだ。取り組んだことが成功するときも失敗するときもあるが、過去を引きずると人は前に進めなくなる。

 だから、何があっても後ろを振り返らずに、失敗も人生の糧と感じて手島会長は前に進んできた。いまできることは何かを考えて、前だけを見て誠意をもって仕事をしてきたところ、だんだん結果がついてきたという。

 

<東京オリンピック後の建設業界の景気はどうなる?> 

 建設業界では、いまの東京の好景気はバブルに似ているともいわれていて、東京オリンピックにむけて新しい建物をつくる仕事が多く、どの企業も忙しくしているという。しかし、いまの建設業界の好景気はバブル期と同じようにみえて、実はかなり違うと手島会長は考えている。

 今回の東京オリンピックが終わるとつくられる建物の数は減るが、バブルが崩壊したときのように建設業界の需要が急激に減り、多くの会社が倒産するようなことは起こらないと手島会長は予想している。

 バブル期は、投資用のビルやマンションがたくさん建てられていたが、いまは企業の予算やコンプライアンスも厳しくなり、バブル期のように何でもつくれる時代ではない。投資用の物件よりも、ニーズがあるビルやマンションがつくられる割合が増えたため、東京オリンピック後も建設業界への影響はそれほど大きくないという。

 もちろん、好景気の建設業界のなかにあっても時代の波に流されることなく、手島建築設計事務所は着実な姿勢で歩みを進めている。手島会長は業界やまわりの状況をみて一喜一憂するよりも、自社でやるべきことを実行するのみだと考えているからだ。

<建物には社会を大きく変える力がある> 

 人はもっている器で、これからの可能性が決まると手島会長は考えている。どんなオフィスで仕事をして、どんな家に住むかは、企業経営や人の暮らしの将来を左右するということだ。

 たとえばオフィスなら、大きなオフィスをつくるとスタッフが仕事するスペースを広く取れる。聞いただけでは不思議な話だが、これまで事務所を引っ越してオフィスを大きくしてきた経験から、オフィスを広げると空きスペースができて、そのスペースに合わせて人が増え、仕事も増えたという。事業が広がるスケールとオフィスの規模は同じということだ。

 だから、何かを始めるときは、まずその場所となる器を決めることが大切だと手島会長はいう。大きなオフィスをつくることは将来の可能性を信じることで、そのビジョンがあるからこそ、チャンスが生まれて可能性が現実のものになる。逆にいうと、自分が信じる可能性を限定してしまうと人はそれを越えることはできないため、オフィスの規模より大きな事業は生まれないともいえる。

 建物には、社会を大きく変える力があると実感しているため、使う人や住む人のためになる建物を設計し、暮らしやすい社会をつくることが設計事務所の使命だと手島会長は考えている。

<言葉で教えるよりも、仕事を見て感覚で覚えることや経験が人を育てる> 

 手島建築設計事務所は現在、東京本社に約20名、全国で約50名の社員が仕事をしている。建物の設計は、建物をつくる技術や知識を身につける専門的な仕事だが、どのように人材を育てているのだろうか。

 新しく社員が入社したときは、言葉で伝えるよりも現場で仕事を見せて、自分の感覚を使って仕事を覚えてもらっていると手島会長はいう。設計は、建物の“かたち”を決める仕事だ。“かたち”は言葉で伝えきれるものではなく、目で見て自分の感覚で気づき、初めてわかるものだ。だから、言葉で教えることよりも、見せて伝えることを大切にしているのではないだろうか。

 そして経験を積んで一人前の建築士になったら、1つのプロジクトを1人のスタッフに任せるようにしている。建物のプランを考える段階から、完成するまで、設計事務所の仕事のすべてを1人で担当するということだ。自分のプロジェクトをもつことで前向きに課題に取り組み、建築士として責任をもって仕事をする姿勢を身につけてほしいからだ。また、設計の仕事は、建物の部分的なデザインを決めることだけではなく、建物全体を見渡せる広い視点も必要だ。プロジェクトを1人で担当することで、それぞれの仕事のつながりが見えるようになり、建物全体としての設計のバランスがわかるようになると考えられる。

 設計の仕事は、本人のやる気次第で専門技術や知識をどれだけ自分のものにできるかが決まるという。プロジェクトの責任者として実際に自身で設計するという経験を通して、多くの技術やデザインのアイデアを学んでほしいと手島会長は考えている。

<夢をもち続けるとチャンスが生まれる> 

 東京に事務所を開いてから代表取締役会長・手島博士氏が向き合ってきたのは自分の夢と現実とのギャップだった。人生は厳しいこともたくさんあって、いつも夢を現実にできるとは限らない。だが、自分の夢をもつとそれを実現できるチャンスが生まれるという。

 たとえば、超高層の建物を設計することは、手島会長にとって、事務所を始めたころからの長年の夢だった。しかし、実績を評価され、なおかつチャンスに恵まれなければ、手がけられる仕事ではない。だから、すぐには実現できなかった。だが、調子がいい時も悪い時もあきらめずに夢をもち続けて心に描いていたら、何十年も経ってから、超高層マンションの設計という夢を実現できる機会に恵まれた。

 夢を実現できるチャンスは、いつ来るかわからない。だが、夢をもたなければ、夢を実現できるチャンスも生まれない。夢を実現したいという思いをもち続けていれば、チャンスがきたときに夢を現実のものにできると手島会長はいう。

 そして、いつの時代も世の中は前に進み続けている。企業は“現状維持”をしていれば、事業を続けられると考えられがちだが、そうではない。どんなときも、企業は前向きに歩み続けることが必要だと手島会長は考えている。世の中はいつも前に進んでいるから、もし、その場に立ち止まってしまえば、過去の世界にとどまり続けることになる。

 

<人は財産-社会的な立場や仕事、年齢で人を見ることはない> 

 人とのつながりは人生の財産だと手島会長は感じていて、ビジネスでの利害関係があるかどうかに関わらず、人とのつながりを大切にしているという。

 仕事や社会的な立場、年齢などで相手を判断することはなく、人柄や能力、人間性を見て人付き合いをすると手島会長はいう。人は外からパッと見てわかるものよりも、人となりや才能が大切だと考えているからだ。だから、どのような立場や年齢の人でも、優れた能力や人間性がある人はすばらしいとフェアに評価している。なかでも自分では思いつかないような考え方や自分にはない能力をもっている人を尊敬しており、つきあいのなかで学ぶことも多いそうだ。

 手島会長は人づきあいにおいて、常に人の役に立ちたいと感じており、自分に何かできることはないか考えているという。来る者は拒まず、去る者は追わず、世の中のあるがままを受け入れ、縁を大切にして多くの人と広く交流を深めている。

<緩やかな坂道を登るのが、いい経営> 

 半世紀ものあいだ事務所を経営するなかで、さまざまな企業の栄枯盛衰を目にすることも多かったのではないだろうか。

 企業経営を山登りにたとえると、事業を広げて成果を上げる「坂道を登る」ことは大変だが、失敗して「坂道を転げ落ちる」のはあっという間だ。だから、大きな利益を追いすぎずに、緩やかな坂道を登る経営が自分のやりかたにあっており、長い目で事業を大きくするためには一番いい方法だと手島社長は考えている。大きな利益を上げようと急な坂道を登ると危険も多く、転げ落ちるリスクも大きくなるからだ。

 設計の仕事の一番のやりがいは、長い年月が経っても設計した建物が残ることだと手島会長は感じている。設計した建物が完成したときの仕事をやりきったという達成感はなにものにも代えがたいが、数十年まえに設計した建物をみると当時仕事に取り組んでいたときのリアルな思いがよみがえってきて感慨深いという。

 手島建築設計事務所の事業は拡大を続けており、いまでは社員とその家族をあわせると100名以上になるという。経営では、社員とその家族全員の生活を守ることを一番に考えており、そこが経営でいちばん難しいところだと手島会長は話す。

 いまの時代、社員とその家族の生活を守るという日本企業らしい経営姿勢をもたない会社も多く、会社と人との関係性も変わりつつある。そんななかでも、手島建築設計事務所は、社員とその家族を守りたいという日本企業ならではの姿勢をもち続けている会社だ。その姿勢が職場の空気にも影響しているのか、長く仕事を続けているスタッフが多いという。

 来年、手島建築設計事務所は創業50年を迎える。世の中に流されず、目先の利益を追いかけることなく、誠意のある仕事への取り組みが多くの人々からの信頼を生み、順調に業績を伸ばし続けている。また、何があっても前に進み続ける姿勢が原動力となり、数々の夢を現実のものにしてきた。これからの手島建築設計事務所は、どんなビジョンを実現させていくのだろうか。次の50年への歩みが始まろうとしている。

NET IB NEWS 【取材・文・構成:石井 ゆかり氏】


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